「小学校の修学旅行で来たことはあります」
「さようですか」
そこで仲居は畳に正座し、茶を入れ始める。
隣から慎二とさきほどの女性の話声が聞こえるが、何を話しているのかまでは聞こえない。
綺麗な人だったな。
慎二よりかは年上だろうが、着物を着ていても、同じくらいの年齢ではないかと思えるほど、若々しく見えた。
親しげだったし、慎二が来るのを、本当に心待ちにしていたようでもあった。
霞流さんは馴染みの客なんだろうし、そういう客はやはり旅館の偉い人が出迎えるものなのではないか?
美鶴の素人考えが正しいのなら、あの女性はこの旅館の中で、地位のある人物ということになる。
見た目は穏やかそうだったけど、きっと旅館の仕事もテキパキとこなしているのだろうな。
対して霞流さんは、知る限りどことなくおっとりとしているような雰囲気もある。
そういう男の人には、あのような女性が似合うのかもしれないな。
……………
わっ 私は、何を考えているんだ?
慌てて出された茶に口を付けた時
「美鶴さん?」
「はっ はいっ!」
茶碗を取り落としそうになり、慌てて掴む。
「そろそろ、出かけようと思うんだけど……」
「あっ はっ はいっ!」
肩掛け鞄をひっつかんで立ち上がる。
入り口の襖に顔を寄せて声をかけていたのだろう。勢い良く開けると、やや驚いたように身を仰け反らせる。
「あっ すいっ」
すいません。
そう言おうにも言葉が出ない。
「すい…… すいませっ」
飛び出してきた美鶴にフッと軽く噴出し、だがすぐに表情を整えて歩き出す。
「遅れると煩く小言を並べる人間もいるのでね。あまり遅くならない方がいい。木崎が、先に行って待っているし」
先ほどの女性が、敷居の外まで出てきて見送ってくれた。
「まぁ まぁ 本当に忙しいことで」
その言葉に霞流慎二は軽く会釈をし、車に乗り込んだ。
運転手がドアを閉め運転席に乗り込み、やがて滑るようにして、色の濃いセダンは動き出す。
「さて」
振り返った慎二は、旅館の姿が見えなくなったことを確認して、除ろに口を開いた。
「これから少し、騒ぎが起こるかもしれません」
意味あり気にクスッと笑う。
そうして、横で不安そうに首を傾げる美鶴に向かって目を細めながら
「正直、あなたはただ巻き込まれるだけの存在だ。そうして、巻き込むのは私であり、それを承知の上で京都へ連れてきたのだから、確信犯であるコトに間違いはない」
その瞳は、美鶴を見ていながらどこか遠くを見ているかのよう。そしてどこか、楽しそうでもある。
「あなたには、迷惑をかけることになるかもしれない。その点については申し訳ないとも思っている」
その言葉に嘘はない。ではなぜ、彼女を連れてきてしまったのだろうか?
彼女らの顔が驚愕と怒りに満ちるのを、ただ見たいだけなのだろうか?
そうなのかもしれない。
そう自嘲する。
ただ、壊したいだけなのかもしれない。
そうだ、俺は壊したいのだ。
皆が驚き、混乱し、自分を責め、パニックに陥る。それらをただ、見たいだけなのだ。
所詮は脆い存在なのだから―――
「霞流さん?」
ふと黙り込んでしまった慎二に、おずおずと声をかける。
「あぁ これは失礼」
我に返り、改めて顔を向ける。
「でも、悪いようにはしませんよ」
「隣に、居るだけでいいんですよね?」
念を押すような美鶴の言葉に慎二は頷き、だが少し俯いた。
「えぇ」
「私、霞流さんの友人ってコトになってるんですよね?」
「えぇ 一応は」
「一応?」
一応って?
軽く身を強張らせる美鶴に、慎二は顔をあげる。
「大丈夫ですよ」
「ほ、本当ですか?」
「えぇ 何があっても見捨てるようなコトはしませんからっ」
「えぇっ! 見捨てるって」
そんなすごいコトが起こるのか? そんな話は聞いていないっ
私はただ霞流さんの友人として……
怖気づく美鶴の手の甲に、慎二は己の掌を重ねた。
「か… 霞流さん。何か私に隠してるコト、ありません?」
「事情は後でお話しますから」
否定してくれよぉぉっ!
「今じゃあ、ダメなんですか?」
「えぇ 今は時間もありませんし……」
そこで一度口を閉じ、上目づかいで肩を竦める。
「本人たちに会ってからの方が、話が早い」
「本人?」
さっぱり理解できないよぉぉぉぉぉぉぉ〜
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